~第一話~ 憂芽の見る夢。
「いらっしゃいませ、お嬢様。そして――お帰りなさいませ」
燕尾服を着た半獣がストライプ柄のハットを脱いで丁寧に頭を下げた。突然挨拶をされた彼女はベッドの上で目を擦っている。どうやらまだ寝惚けているようだ。
「んん、よく寝たかも。おはよう……って、アレ、あなたはだあれ?」
彼女が怪訝そうな顔で訊ねてきたので、半獣はパチンとウインクをして気障に答えた。
「おやおや? お忘れになったのですか? お嬢様がわたくしを作り出したというのに。それは大変寂しゅうございます」
「ええと、そうだっけ? 傷付けてしまったのであれば、ごめんなさい。オオカミさん。寝起きで頭が全っ然回らなくて」
申し訳なさそうに、ぺこりと半獣に謝った。オオカミさんと呼ばれた彼は、シルバーウルフと人間のハーフだった。無論、現実にそんな動物は存在しない。架空の生き物だ。
「わたくしの名前はノクタンビュールと申します。こちら『夢管理システム』の中で、お嬢様の案内人(ナビゲーター)兼相談役を務めております。以後、お見知り置きを」
「ふぁあ……そうだったかも? じゃあ、まだ朝じゃないんだね。今は何時頃か教えて。もう少しだけ、二度寝しようかな」
「只今の時刻は午前二時、お嬢様にとっては――永遠に続く午前二時でございます」
「それってどういう意味? 夢管理システムの緊急メンテで時間が止まっているのかな」
夢管理システム――それは国直属のITソリューションチームが数年前に開発・制作した、無限の可能性を秘めた睡眠型才幹改良プログラムのことだ。
高齢化が進む一方で人口増加は見込めず、国の衰退を危惧した政府が、秀でた人間を意図的に作り出すことが出来ればと長年に及ぶ議論を重ねて、遂にベータ版が配布された。
莫大な資金が費やされたが、睡眠時の神経細胞(ニューロン)にアクセスして意図的に操作することで、本来誰もが持っている能力をフルに引き出せると正に夢のような計画だった。
「ええと、ノンタン……いや、違う。もう一度名前を教えて」
「ノクタンビュールです。お嬢様は物覚えが悪うございますね」
「うっさいわね。呼びづらいからノクタでいい? 今まで夢管理システムの利用中に、こうして案内人と対話することなんて一度もなかったから新鮮だね。一体、何が起こったの?」
「ノクタですか、素晴らしい。お好きなようにお呼び下さいませ。そして、今からわたくしが伝えることをしかと受け止めて下さい。『クオリス』が暴走して、全ユーザーが夢から覚めないようプログラムを強制的に書き換えてしまったのです」
「ふむふむ、なるほど。小学校高学年の私でも分かるように説明して」
「畏まりました。クオリスと言うのは、夢管理システムの全権を担っているマザーコンピューターのことでして、お嬢様含む現在アクセス中の99.98%が夢の中に閉じ込められたと推測します。未だ目覚める方法も、どうして暴走したのかも理由は不明です」
「えっ、何それ……事実なら、かなりヤバい事態になってない? 出られないの?」
ようやく経緯を理解することが出来た彼女――憂芽(ゆめ)は、ジワジワと恐怖心が贓物の中から込み上げてくるのを感じた。畏怖の念が蛞蝓のように這って、緩やかに脳裏を侵食してくる。
「ハッハッハァ、先程までの寝惚け眼はどうなさいましたか。目が泳いでギョロギョロとしておりますぞ。全く、わたくしの主はとても可憐でお茶目な人だ」
オオカミの顔をしたノクタが、口を大きく開けて笑った。憂芽が初めてログインする前に設定したアバターだったことを思い出してからは、軽口を叩かれても憎めないようだ。寧ろ危機的な状況もあって信頼を寄せている。
「折角の機会ですから、改めてお互いに自己紹介でもしませんか? これまではオフラインの時に形式上でしか会話をしたことがありませんので。もっと、わたくしはお嬢様のことを身近に感じたく思います」
憂芽はノクタの提案に賛同した。この夢の中から脱出する方法を見付けるためにも、お互いのことを詳しく知っておいて損はないと考えた。
「うん、分かった。まずは冷静に。ノクタから先に自己紹介をお願いしていいかな」
「いいですとも。改めまして、わたくしの名前はノクタンビュール。この夢管理システムのプログラムの一種ですが、クオリスが作り出したのではなく、お嬢様がご自身で設定したアバターとなります。お陰でプロテクトガードが作動して、データ改ざんウイルスの影響を受けずに無事だったので呼び起こしたのです」
「そうだったんだ……ありがとう。ノクタが居てくれて助かった。私の名前は憂芽、小学6年生。貴方が知らない私の情報だったら、つぶあんかこしあんならこしあん派よ。宜しくね」
「こしあんですか、それは素晴らしい。電子体である故に、これまで食べたことはありませんが実に美味しそうだ」
じゅるり、と舌舐めずりをしてノクタはうっとりとした。憂芽はジョークのつもりだったが、最早こんな反応をされては訂正をする空気ではない。
「これからどうすればいいのだろう。待っているだけじゃ、何も解決しないよね……」
「流石はわたくしの主、こんな状況に陥っても冷静でいらっしゃる。これもまた素晴らしい」
「…………」
無言が続き、憂芽はジト目になってノクタを見つめていた。
「? どうかなさいましたか? お嬢様」
「少し屈んでちょうだい」
「畏まりました。これで宜しいでしょうか?」
コツンッ――屈んで背丈が同じくらいになったノクタの頭を、憂芽はグーで小突いた。
「あたっ」
「ノクタ……あのね、よく聞きなさい。貴方の褒め方ってどうも嫌味っぽく感じるわ。後で性格を修正しておかないとね」
「それは止した方が宜しいかと。クオリスは、幸いにも憂芽お嬢様の意識が目覚めたことに気が付いておりません。今ここでプログラムの修正ログを残してしまうと、身に危険が及ぶ可能性も非常に高くリスキーでしょう」
危険が及ぶかもしれないと言われて憂芽は背筋がゾクとした。具体的にどんなことが起こるのか分からないが、決してそれは愉快で穏便な結果にはならないだろう。
「ねえ、ノクタ。私はここから脱出したい、貴方の力が必要なの。協力してもらえる?」
「勿論ですとも。お嬢様がそう望むのならば。しかし、脱出は極めて困難にございます。何せ相手はシステムを統括するクオリスですからね。言わば彼女の手中に収まっている状況。果たして我々に勝算はあるのか」
「勝算って、別に戦うわけじゃないし、勝たなくていいよ。無事に現実で目が覚めたらそれでいい。って言うかシステムに性別なんてないでしょ。貴方は別として」
「ハッハッハァ、そうでした。ついうっかり。いやいや、この絶対的絶望な状況を楽しんでいるわけではございませんよ? 些か面白くなってきたとは感じますがね」
「それを楽しんでいるっていうんだよノクタ……もう、肝が据わっているところは褒めるけどいい加減でテキトーな性格ね」
「お嬢様に似たのでしょう」
「…………えいっ」
「あっいだだ! さっきより痛い!」
憂芽は背伸びして思い切りノクタのヒゲを引っ張った。彼に痛覚が備わっているか定かではないが、演技ではなく本気で痛がっている様子から、多少は反省をしてくれるかもしれない。
「はぁ……おふざけが過ぎるよノクタ。ところで、この場所からどうすれば出られるのか教えてよ」
何気なく空間の端に手を添えると、弾力性の強いシャボン玉のような感触が伝わりぽよんと押し戻された。ここは憂芽が見ている夢の中だが、出口らしきものは見当たらない。
憂芽は辺りを見回すが、薄暗くて遠くの様子はよく分からなかった。譬えるなら、ドーム状の小さなプラネタリウムを模した夜の世界にベッドがひとつ、ぽつんと無造作に置かれているだけだった。
「お嬢様の見ている夢の世界から移動するには、ゲートを潜ればいいでしょう」
「そんなもの何処にもないから言ってんじゃん」
冬眠前のリスのように頬をぷくーっと膨らませて憂芽は拗ねてみせた。からかわれていると思ったのだろう。ノクタはいえいえと首を左右に振って、言葉の続きを補足した。
「ゲートを出現させるには、先に鍵を見付けないといけません」
「それを先に言わないと分からないよ……でもね、ノクタ先生? その鍵とやらは?」
「さあて? ですが、この夢の世界の何処かにあるのは間違いありません。そういうシステムになっております故。探してみましょう」
憂芽はハァと声に出して溜息を吐いた。少し前までは頼れる存在だと思っていたが、当てが外れたかもしれないと感じていた。信頼と懐疑のバランスは、やや後者の比重が増す。
「無責任なこと言って……私が見ているこの夜の世界って、直径で5メートルもないよね。ベッドしか置いていないこの空間の何処に鍵なんて」
「ベッドしかないので、そのベッドが怪しくありませんか?」
「あ、なるほど。それは盲点ね。実はベッドの下にあったりして」
憂芽が屈んで床との隙間を覗き込むと、脚の裏側に金色のレトロな鍵が貼り付けてあった。小さいのにずっしりとした重みを感じる鍵を手に取る。
「んんっ、意外に重た……何で出来ているのこれ」
「それは『夢鍵』と申します。その世界を構築するユーザーの『想い』がそのまま反映されているものです。人によって色も、サイズも、重量も異なります」
なるほど、と深く頷いては見たが、想いと言われても憂芽にはピンと来なかった。
「あちらをご覧下さい。間もなくゲートが開かれるはずですよ」
ノクタが手を差し出した方を見ると、その場の時空が歪みだして人がひとり通れるくらいの渦が現れた。ゲートというよりは昔読んだSF作品の小説に出てくるワームホールのようだと憂芽は思った。
「さあ、それではゲートを潜って異なる夢の世界へと旅立ちましょうか」
「ちょっと待って。いきなり旅立とうって言われても、まだ心の準備が。このゲートの先ってどこに繋がっているの?」
「それはわたくしにも分かり兼ねます。お嬢様とチャネルがあった世界に転送されるはず。今の状況事態がイレギュラーなので、答えようがないのです。心配かもしれませんが、安全性は保障いたしましょう」
「あそっか、ごめんね。うう、心配じゃないと言えば嘘になるけど……後戻りも出来ないし、行くしかないよね」
ごくりと憂芽は生唾を飲んだ。これが全て夢の中での出来事だとしても、この先に何が待っているのか、未知なることに緊張をするようだ。
ノクタは襟を正すとスッと前に出て憂芽をエスコートした。先にゲートを潜り身体の半分が消えたところで、振り向いて憂芽についておいでと手招きをする。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……ええい、ままよっ!」
憂芽は目をギュッと強く瞑ってゲートの中に飛び込んだ。その瞬間、頭の中がぐわんぐわんとして、三半規管が大きく揺れた。まるで船酔いでもしたようになった。
脳の揺さぶりが収まり、静かに目を開けると視界は波打つ。バイナリデータと共に何処かへ運ばれてゆく。高速で流れる0と1の数字以外にも、キラキラとした何かが同じくらいの速度で流星の如く流れる。
「凄い……こんな非常時に言うことじゃないけど、目を奪われるほど綺麗……」
「ゲートとゲートを繋ぐ海域がこちらの『電子の海』です。ここには沢山の電子海月が生息しております。群れを成して漂う姿はとても美しいものでしょう」
「へえ、電子海月っていうんだ。ノクタの言う通りとっても幻想的。触ったらまずいよね?」
「触れると破裂して海流の軌道が変わりますので、二度と現実に戻れなくなりますよ」
「……じゃあ止めておく。さよなら私の探究心。眺めているだけで充分」
「それが懸命かと。後、数分もすれば新たな夢の世界へと到着するでしょう」
少しずつ海流の速度が落ちて、波の揺れも穏やかになった。ほんの数分前まではスヤスヤと眠っていたのに、憂芽は自分の運命が大きく変わったのだと他人事のように思っていた。
目を凝らすと前方に小さな光輪が見えた。それはこの海の終着、新たな夢の入り口だった。
「あちらのゲートを潜れば電子の海から出られます。さあ、足下に気を付けて。わたくしの腕にしかと掴まって下さい」
「ありがとうノクタ。離さないでね。飛び込むまでは最初ドキドキしたけど、電子の海は綺麗で楽しかった」
「それは良かった。お嬢様の笑顔が一番ですから。その光の中へと進んで下さい。わたくし達を招いた夢の世界に繋がっています」
眩い光が差すゲートの中に、憂芽はえいとダイブした。再び三半規管が揺れて、軽く気分が悪くなる。目も開けられないほどの明るさに包まれて、憂芽とノクタは新たな夢の地に降り立った。
「眩しかった……ゲートに入る時と出る時は慣れないかも。ええっと、新しい世界に着いたのかな? ここが、誰かの見ている夢の世界ってこと?」
「仰る通り。無事に到着をしました。ほほう、これは――空から灰が降っている世界とは。酔狂ですな」
何処までも続く砂礫。視界を覆う鈍色の景色。生命の存在を感じさせない寂れた場所。
そこは、死の灰が降り頻る世界だった。
~第二話~ 灰被りの世界・ミアとミラの場合
※試読終了