ダンサー・イン・ザ・リィンカーネーション


『ダンサー・イン・ザ・リィンカーネーション(試作)』

01話:アウター・ワールド

 彼が見ていた光景は、夢でも、ましてや幻でもなかった。
 そこにある異質の存在――瓦礫の隙間にすっぽりと収まり、身体を折り畳めて、ひとりの少女が眠っていた。
 この崩壊した世界で、彼が自分以外の人間に出会ったのは実に五年振りだった。突然の邂逅に、驚きを隠せずにいる。
 時間が静止したかのように、彼はそこから動こうとしなかった。目の前の少女に釘付けになっていた。裾が捲れて内股がチラと露出している。彼の心拍数が上がった。
 気配に勘付いたのか、少女がピクリと反応を示した。彼の停滞した思考は再び回転を始める。恐る恐る、無防備な姿の眠り姫に声を掛けてみた。
「君は――」
 その声を聞いて、少女は完全に夢の中から目を覚ました。寝惚け眼を擦り、瞬きをして、ゆっくりと見上げ、それから目が合うこと数秒。
「おじさん、誰?」
 彼と少女の物語は、此処から始まる。

 西から吹く湿った風がバラック小屋を軋ませる。造りはそれなりにしっかりとしているようだが、部分的に見ると相応の劣化があった。彼が拠点としている一室に二人はやってきた。
「ああ、訳も分からず連れてきてしまって済まない。まずは非礼を詫びよう」
「…………」
 彼の部屋に招かれた少女は無表情だった。目覚めていきなり知らない男に連れ出され、内心では恐怖を感じている可能性だってあるだろう。気まずい淀んだ空気が流れる。
 彼は見た目で言うと三十過ぎ、長身細身の男だ。頬は痩け、無精髭を生やし、髪はオイルでべたついて、あまり清潔感はない。特徴として左手には分厚い革グローブを着けていた。
 一方、少女の見た目は十歳くらいだろうか。服装はぼろ切れの一張羅で素足。肌から髪の色まで真白く、こちらはこちらで病的な容姿をしていた。
「ずっとだんまりだな。何か喋ってほしいんだが……いきなりこちらから質問責めするのも悪いな。そうだ、お腹は空いていないか?」
「……(グゥウウウ~)」
 少女の替わりに、腹の虫が素直に返事をした。彼はプッと吹き出す。恥ずかしそうにもじもじとしている様子を見る限り、空腹に間違いないだろう。
「分かった。大したものは出せないが、パンと茸のスープを用意しよう。世界が滅亡してしまったこのご時世だ。どちらも贅沢な食べ物だからな」
「世界が、滅んだ……?」
 少女はようやく口を開いた。ただの人見知りなのか、異様な口数の少なさに違和感を覚えつつ、彼は訊ねる。
「もしかして、君は外の世界のことを何も知らないのか」
「知らない……私、ずっと施設で育ったから。ねえ、此処は、何処……?」
「施設だって? そうか。矢張り――君は内の世界からやってきた人間だったのか」
 彼は一呼吸置いて、窓の外に目を遣りながら話を続けた。
「此処は外の世界。この世界は二つに分断されたのさ。『外の世界』と『内の世界』にな」

「外の世界と、内の世界……」
 少女は目をまんまるとさせて、彼の言葉をそのまま繰り返した。もしずっと内の世界だけで過ごしてきたのであれば、まだ頭の中で理解が追い付かないのだろう。
「まあ、知らなくとも仕方ないさ。自己紹介しよう、俺の名前はリベル・ティーグ。君は――自分の名前を持っているのか? それとも、電子番号(コードネーム)で呼ばれていたか?」
「私の名前はアリア……アリア・ベシェヴリ。そう呼ばれていた」
「アリアか、いい名前だ。もともと世界は外も内もなく、ひとつだった。しかし、今から五年前、突如降り注いだ光の柱(ジハド)によって、世界は一瞬にして滅亡した。それは神による粛清だと言われた」
「……それで?」
「地上で暮らしていた殆どの人間は死に絶えたが、中には俺のようにしぶとく生き延びた者も居た。だけど、神って奴ァそれだけでは赦してくれなかった」
「神様は、どうしたの?」
「粛清から暫く経って、今度は空から強い毒素を含んだ赤い雨が十日間も降り続いた。その雨を浴びた者は肉体や精神に支障を来し、皆狂いながら死んでいったよ。俺の妻も、まだ幼かった娘も……」
「神様って非道いね」
「非道いだろう? 俺は何度も後を追って死のうと考えた。だが、死んでやろうと決意する度に娘の亡霊が現れて『パパ死なないで』って泣きながら必死に止めるんだよ」
「…………」
 アリアは呆然としていた。その表情を見て、リベルは話題を変えることにした。
「話が逸れたな。そう言う理由で、粛清によって滅亡した外の世界と、地上での暮らしを捨てて、地下へと逃げ延びた人間が住む内の世界に分断された。尤も今では外の世界の住人は俺しか存在しないはずだけどな」
 小さな口一杯に、リスのようにパンを頬張りながら、アリアが呟く。
「私、本当に何も知らなかった……色々とごめんなさい」
 頭を深々と下げてアリアは謝罪した。内面は年齢よりもずっとしっかりとしているようだ。その証拠に、少しずつ打ち解けてくると、彼女の口数も増えている。
「アリアが謝ることじゃないだろう。それどころか、俺はこの出会いに感謝すらしている。内の世界の人間と接触したのは初めてだ。今度はアリアが教えてくれないか? 施設のことや、そっちでの暮らしについてだ」
「…………」
 さっきまで喋っていたアリアが再び殻に籠もった。関係性が振り出しに戻ったのかと思い、リベルはやや強い口調で迫った。
「何故だ? そのくらい教えてくれたっていいだろう」
 アリアに言い寄って彼女を壁際まで追い詰めた。アリアは首をブンブンと左右に振って、無言の儘、必死で自分の胸元を指差した。そこには細いワイヤーと発信器のような小型装置が着けられていた。
「もしかして、その首から提げている装置のせいで……」
「…………(コクン)」
 真っ直ぐにリベルを見つめて、アリアは大きく一回頷いた。それで、彼女がどういう状況に置かれているのか、リベルは理解した。
「それは電子式ネックロッカーか。そこの発信器が声認証のセンサーになっていて、アリアが内の世界に関することを話すとワイヤーが絞まって首が宙を飛ぶってことか」
「……(そう! お願い……助けて……)」
 今にも泣き出しそうな顔で、震える腕でリベルの服の袖を掴みながらアリアは懇願した。リベルの中で激しい憎悪の火が焼べられる。
「アリアは、施設から脱走してきたんだな? ずっと辛かっただろう……」
 リベルはアリアの頭を優しく撫でた。そこで緊張の糸が途切れたのか、遂には声を出してアリアは泣き出してしまった。
「詳しい事情は後で聞くとして、俺に任せろ。まずは掃除を終えてからだ」
「……掃除?」
 リベルが言った掃除の意味が分からずに、アリアはきょとんとした。顔を見上げてみると、彼は険しい顔をしてドアの入り口を睨んでいた」
「なるほど、アリアを連れてきておよそ一時間、もう追っ手も嗅ぎ付けてきたか」
 リベルは聴覚を集中して外の気配へと耳を澄ませた。赤い雨がポツポツと降り始めて、音やにおいはどうしても紛れてしまうが、そこに何者かの気配を感じている。
「二人……否、三人か。雑魚が二人で一人が指揮官クラスってところだな。しかし、こいつらは赤い雨に打たれても平気なのか? 皮膚に触れるだけでも危険だってのに」
「リベル……気を付けて! あいつらは、もう普通の人間じゃ……」
「それは、どう言うこと――」
 ガシャアァァン!
 窓硝子の割れる音がした。白衣を着てガスマスクをした男が二人、いきなり部屋の中へと飛び込んできた。
「後ろかッ! アリア、テーブルの下に屈んで隠れていろッ!」
 リベルが叫ぶと同時に、アリアはサッと身を隠した。白衣の男達はサブマシンガンを構えて有無を言わせず一斉乱射する。
 ズガガガガガッ! けたたましい銃声が響いて硝煙が辺りを包んだ。一瞬にして壁の側面は穴だらけになった。しかし、そこにリベルの姿はない。
「……おかしい。消えた?」
 白衣の男のひとりが呟いて一歩二歩と前に踏み出した時、目の前に小型のテーブルを盾にしていたリベルが現れた。
 ガッと左手で顔面を鷲掴みにすると、キュイイインと腕から機械音がして、次の瞬間――男の顔は真っ赤に染まりザクロのように弾けて潰れた。
「ツッ……!」
 残ったもうひとりが怯んだのをリベルは見逃さなかった。頭部の失った死体を放り投げると、急接近して腹部を思い切り殴った。
 男の胴体は爆発四散して首と手足と別れを告げた。上半身は天井に叩き付けられてベシャッとへばりつき、下半身は失禁しながら力なくドサッと倒れた。
「リベル……こんなに、強かったの……」
 アリアはリベルの左手を凝視していた。焦げて破れたグローブから機械のアームがチラと覗いている。その拳は高熱を発してシュウウウと蒸気を上げていた。
 その突き刺さるような視線に気付いて、振り向いたリベルが説明をする。
「ああ、これか? 見ての通り俺の左腕、肘から下は義手だ。粛清によって失ったのは家族だけじゃなかったってことさ。そうだ、待っていろ」
 リベルは屈んでごそごそと死体を漁りだした。グジュッと不快な音と血飛沫が舞う。何をしているのだろうとアリアがそっと覗き込む。
「キャッ!」
 アリアは悲鳴を上げて尻餅をついた。リベルは、白衣の男の右目を抉って、ゆらゆらと揺れながら近寄ってくる。
「なっ、何をしているの! その眼球を捨ててよ、怖い!」
「動くな! いいから、ジッとしていろ」
「ヒイッ……」
 リベルに怒鳴られてアリアはビクッとした。圧を掛けるようにしてリベルは採れたて新鮮な眼球を差し出してくる。気でも違えたのかと、恐怖のあまりギュッと目を瞑る。
「だから、動くな……」
「うぅ…………」
 蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか。アリアが身動ぎせずジッとしていると――。
「…………ピピッ、ロック解除シマス」
 プシューっと音がして、アリアは自分の首回りが少しだけ軽くなったことに気付いた。目を開けてそっと首の周囲を触ってみると、そこにぶら下がっていたはずのワイヤーと発信器が外されていた。
「その発信器は虹彩(アイリス)認証式だ。アリアが暴れるから、動作虹彩距離を合わせるのに時間が掛かったじゃないか」
「だって、いきなり死体から右目を刳り抜いて近付いてきたら……おかしくなってしまったのかと思って。きちんと説明してよ、怖かった……」
「あまり余計なことを喋って解除前に首が吹っ飛んだらおしまいだろう。驚かせて悪かった。もう安心だ。追っ手の二人は即死だ」
「あれ? でも、リベルは三人居るって言ったよね。死体は二つしかないけど」
「残る一人は、飛び込んできた二人の指示役だったようだが、形勢不利と判断して即座に報告に戻ったらしい。まともな状況判断が出来るなかなか優れた奴だ」
「そう、なんだ……発信器も外れて、もう私は大丈夫なんだね……」
 アリアは再び声を上げて泣き出してしまった。これまで、ずっと自分の感情を抑えていたのだろう。彼女は暫くの間、赤い雨と呼応するようにシクシクと泣き続けた。
 散り散りとなった部屋の死体はリベルが屋外に放り出した。アリアは手伝いとして床を掃いている。やがて本降りとなった赤い雨が彼らの無残な亡骸を溶かして、跡形もなく洗い流してしまうだろう。
 一通りの片付けが終わると、リベルとアリアはテーブルで向かい合って紅茶を飲んでいた。落ち着きを取り戻したアリアの表情は先程よりずっと和らいでいるようだった。
「俺は、外の世界が滅ぶ前は機械技師をしていた。これでも腕利きと評判でな、この左手の義手も自分で仕込んだものだ」
「手先が器用なんだね。それにしても、リベルがこんなに強いなんて思わなかった……見た目はひょろっちくて、弱そうなのに」
 率直な感想をアリアは述べた。リベルは肩を竦めておどけてみせる。
「おいおい、人を見た目で判断するなって。昔っから老け顔とは言われるが、まだまだ体幹は劣っちゃいない。日々トレーニングして鍛えていた賜物だ」
 そう言うとリベルは左手で拳を握った。ギィィ、ガシャン! と鈍い動作音がして、生身の手と変わらず器用に指先を動かしてみせる。それを見てアリアはへえぇと感心していた。
「さて、一人だけ取り逃がしたが、もう身の安全は保障しよう。今までアリアがどんな生活を送っていたのか、改めて教えてもらえないか?」
「……いいよ。私のこともきちんと話すね。まず何から話せばいいだろう。私の最初の記憶は、確か自分が六歳の頃だった。それより以前の記憶は、覚えていないの」
「その時からずっと、施設の中だけで暮らしていたのか?」
 アリアはとても辛そうな顔をして、唇を噛み締めながら話す。
「施設から出たのは、今回の脱走が初めてだった。同じ施設で育ったのは、私を含めて全員で五人。『神の子』だって言われて特別扱いされていた」
「…………」
 黙ってリベルは話に耳を傾けていた。内の世界に移り住んだ人間達は、一種のカルト集団のようになっていたのだと想像する。
 窓の外は強雨となって、タタタタタンと、一定のリズムで激しい雨雫が屋根に叩き付けられた。不安を煽るような荒天になっていた。天井から吊された裸電球が小さく揺れる。
「私達、神の子は常に複数人の監視下に置かれた生活を強いられていた。毎日沢山のケーブルに繋がれて、身体のデータを細部まで取られて、日々決まったルーティンで過ごしていた」
「その、これは答えられたらで構わないが、五人の神の子ってのはどういう条件で餞別をされたんだ? 一体どんな目的があって?」
「それは、分からない。何も教えられなかった。私が脱走を決めたのには理由があるの。施設で過ごしていた五人の中の一人が、あいつらに殺されてしまったから」
 唇を震わせてアリアは語る。沈黙が続いて、一呼吸してからゆっくりと話し出す。
「数日前のこと。いつもと同じようにケーブルに繋がれて、午前の身体検査が始まった時……神の子の一人が異常数値を表示して、激しい発作が起こったかと思ったら……突然、バケモノへと変貌してしまったの」
「バケモノにだって? 内の世界の住人は人体実験でもしていたのか?!」
「それも正しくは分からない……でも、大人達は失敗作だと言って、その子を躊躇わず射殺してしまった。その光景が怖くって……もしかすると、私もいつかバケモノになってしまうかもしれない」
 リベルは紅茶を一気に飲み干して、カップを力強くテーブルに置いた。ダン! と響いて、アリアの身体が一瞬引き攣る。
「大丈夫だ。アリアのことは、俺が守る」
「えっ」
「俺が守ると言った。アリアはバケモノにもならない。だから――決して怖れるな」
「リベル……」
 また泣いてしまいそうになったので、アリアは自分の腕で涙を拭った。そして、此処に来て初めて自然体の笑顔を見せる。
「女の子は笑顔の方が可愛いぞ。だから、もう泣くんじゃない。次に泣いたら三度目だ」
「泣かないよ。でも、どうして……さっき知り合ったばかりの私に、そこまで優しくしてくれるの? 私が内の世界から来た人間だから?」
 リベルはおもむろに立ち上がると、テーブルのカップをそそくさと片付けた。そして、ぼそっと小さな声で呟く。
「それは、アリアが俺の亡き娘と似ているからだ」
 その声はあまりにも小さすぎて、アリアには届かなかった。二人の会話が止まると、雨音だけが静寂の中に響き渡った。

 シャワーを浴びて、二人はそれぞれのベッドに横たわった。お互いに背中を向けてはいるが、どちらもまだ眠れず起きていることは知っていた。
「なあ、アリア?」
「……なあに」
「眠れないか? ベッドは硬いし、シーツもかび臭いものしかなくて悪いな」
「ううん、それは平気。眠れないのはそうじゃない」
「じゃあ……ぐっすり眠れるまで、もう少し話でもしないか」
「いいよ。リベルは、内の世界のこと、聞きたいんでしょ?」
 リベルはシーツの中で身体を捩ってアリアの方を向いた。無造作にボリボリと頭を掻きながら、待ってましたと言わんばかりに声を弾ませた。彼はずっと内の世界に興味津々だった。
「アリアと殺された子を除いて、神の子は他に三人居るはずだろ? その子達はどうしたんだい?」
 アリアも向きを変えてリベルと顔を合わせる。ジッと見られるのが恥ずかしいのか、顔をシーツで覆う。考える素振りをして、記憶を辿り思い出す。
「えっと……ひとりは要検査と診断結果が出て、脱走前に別室へと連れ出されてしまった。もうひとりは私と一緒に逃げたけど、途中で逸れてしまった。そして、もうひとりは脱走計画を持ち出したのに、断って施設に残ることを選んだ」
「それじゃあ、全員バラバラになっちまったのか。他の三人も全員無事だといいな」
 アリアはそうだね、と頷く。目を細めて、過去を懐かしんでいるようだった。懐かしさの中に諦観の色も垣間見えた。
「期待はしていないけど、皆の無事を祈っている。私だって逃げ出せたのだから」
「ああ、その通りだ。絶望の闇を照らすのは、希望の光しかない。ネガティブな思考は払拭した方がいい」
「こうして話していると……リベルは根が優しいんだね。最初に見た時は、変質者かと思っていたけど」
「はあっ? なーんで俺が変質者になるんだ」
「だって、私が瓦礫に埋もれて眠っている時、ずっと脚ばかり見ていた」
「ばっ……馬鹿野郎! んな訳ないだろうが! 冗談きついぜ全く」
 リベルは手をブンブンとして、顔を紅潮させながら全力で否定した。その言動が子供っぽく映ったのか、アリアは声を上げて笑った。
「アハハハッ、冗談だよ冗談。ああ、リベルって面白い」
「大人をからかうなよ……しかも、真面目な話をしている時にだぞ」
 そう言いながら、リベルもクスッと笑った。この瞬間、二人は確かに心を通わせていた。
 外の雨はようやく勢いが衰えて、雨音も徐々に弱まっていた。降り頻った赤い雨がようやく止もうとしている。
「アリアは、これからどうしたい?」
 リベルが真剣な顔をして訊ねる。
「私の命はリベルに救われたから、貴方に委ねる。リベルはどうしたいの? 私には、考えていることが分かる気がする」
「フフッ、俺か? じゃあ、俺の考えていることを当ててみな」
「恐らく、リベルには目的があって、私を連れて内の世界に行きたいと思っている」
「……正解だ。別に疚しい理由じゃないから隠すつもりはない。俺は、アリアを利用して内の世界である探し物をしたい」
 小首を傾げて、今度はアリアが訊き返した。
「ある探し物?」
「だが、それは言えない。教えたくても、教えられないんだ。俺自身もよく分かっていない。ただ『世界の秩序を反転するもの』とだけ答えておこう」
「そんな物があるって話、聞いたことないな……ごめんなさい。何も知らなくて」
 リベルは肩を竦めてやや大袈裟にジェスチャーをした。アリアなら知っているかもしれないと、期待していた部分もあったのだろう。
「まあ、分からないよな。本当に存在するのかさえ怪しい。だが、アリアが内の世界からやってきたと聞いてから、俺は夢や幻じゃないと思っている」
「そう、だね……もしかすると、私の過ごしていた施設に関与することかもしれないよね」
 その言葉を聞いて、リベルは屈み込むと、床に頭を擦り付けながら懇願した。
「どうかお願いだ……! 嫌なら拒絶してもらって構わない、一緒に内の世界に来てくれないか? アリアの力を借りたいんだ」
 やや困惑した表情をして、見下ろす形でアリアはその様子を見ていた。
「…………」
「命からがら逃げ出したのに、またそんな場所に戻るのは酷だと百も承知だ。だが、俺はこの五年間、死んだような毎日を生きていた。アリアのことは必ず守る……残された神の子も救い出してみせる!」
「…………」
 アリアは尚も沈黙を貫いていた。頭を下げた状態のリベルには、その表情を伺うとは出来ない。
 いよいよリベルは諦めて、そして、スッと立ち上がった。空気を変えようと極力明るく振る舞った。
「否、済まなかった。全て俺の我儘だった。さっきの話は聞き流してくれ。アリアの気が済むまで此処に居ていいから。わざわざ逃げ出した場所に戻る必要なんてないな」
 俯いていたアリアが顔を上げて話し掛ける。
「リベル」
「……なんだい?」
「いいよ。一緒に、内の世界に行こう」
「本当に、いいのか? 折角無事に外の世界まで逃げ出せたんだぞ」
「だって、私のピンチにはリベルが守ってくれるのでしょう?」
「……ああ! 必ずだ」
 アリアはシーツから手を差し出した。リベルも腕を伸ばして、小さく細い手を掴むと、ギュッと握手を交わした。
 外では赤い雨が止み、数ヶ月振りとなる太陽光が分厚い雲の隙間から覗いていた。血の色をした赤褐色の大地は何処までも伸びて、この世の終わりを象徴している。
 その地平線の先にぽっかりと空いた洞穴。内の世界の入り口のひとつがオオオォォと不気味な産声を上げていたことは、リベルとアリアの二人には知る由もなかった。

02話:ラビュリントス
※この続きは次回!!

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